福岡空港


FUKUOKA AIR PORT


現在アジアの空の玄関口として発展している福岡空港は、第二次世界大戦中に席田(むしろだ)飛行場(板付飛行場)という陸軍の飛行場として開港しました。<p> 戦時中は、九州飛行機の幻の戦闘機「震電」がテスト飛行をしました。

朝鮮戦争時は、米軍板付基地として最前線の基地となり、昼夜を問わぬジェット戦闘機の離発着、「国籍不明機の接近警報」に市民は肝を冷やしました。
しかし、戦後の民間航空再開の一番機、日本航空のマ−チン202「もく星号」(羽田−大阪−福岡)が着陸するなど航空の歴史を刻みつつ、昭和47年には米軍から返還され、平和の空も福岡空港に戻りました。

福岡空港には、昭和50年4月に発足した福岡市消防局の消防航空隊があり、アエロスパシアルSA316B "あかとんぼ"(JA9136)とアエロスパシアルSA365N1 "ユリカモメ"(JA9966)が市民の安全を見守っています。特に島原雲仙普賢岳災害では、広域航空消防応援での活躍が記憶に新しい。

"あかとんぼ"は残念ながら引退しましたが、代わりにユ−ロコプタ−(旧アエロスパシアル)社製"ほおじろ"が平成9年3月に就航します。

現在、福岡市営地下鉄なども接続しており、アクセスが便利な空港として、年々利用者も増加していますが、市の中心部にあるために、騒音問題や滑走路の延長・増設といった問題、土地の有効利用が出来ない等の問題点を抱えており、海上への移転が計画されています。また、先日のガルーダ航空機事故では、久々に市民は肝を冷やしました。


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