九州の航空発祥の地「福岡」

福岡市民が初めて飛行機なるものを見たのは、明治45年3月(1912年)であり、ライト兄弟の人類初の動力飛行から9年目の事である。

かねてから飛行機を研究していた日野熊蔵大尉が、少佐になって福岡二十四連隊に赴任して来たので、福岡日日新聞社を中心にして、日野式飛行機を作ってもらって、これを展示しようという計画が持ち上がった。
展示の日は明治45年3月10日〜11日で、できあがった飛行機は「舞鶴号」と命名された。新聞は「さんらんたる銀翼は春日に輝きて、見る目眩く、将に長空に飛翔せんず勇姿」と書き立て、飛行熱をあおったので、市民はいつ飛ぶかと待ちあぐんだが、舞鶴号は飛び上がれず、飛ばない飛行機展示となってしまった。

飛ばない飛行機展示のあと、明治45年4月20日から九日間にわたり、西公園および福岡練兵場で模型飛行機大会が開催され、飛行機熱冷めやらない福岡市民は子供から大人まで、模型飛行機作りに熱中した。

鳳号

模型飛行機ブームの中、本物の飛行機が飛ぶところを見たいという福岡市民の要望をねらって、興業として見せようとする自動車販売業者が現れ、奈良原三次技師が設計し、大口豊吉という大工の棟梁が名人芸で仕上げた「鳳号」を持ってきて大正元年11月17日から三日間福岡練兵場で飛ばせて見せた。
大人十銭、子供、軍人は五銭という見物料であったが、2〜30メ−トルぐらいの高さで7〜800メ−トルほどを飛んで着陸した。

この飛行が九州の「航空事始」である。

当時の新聞は「五百余名の群衆は、この時覚えず一斉拍手歓呼して狂喜す。西南方に飛行する事八百米余、発動機の音静かに索進機の回転止んで、機は暫く下降し始め見事に着陸したり。今まで狂喜したる群衆は夢の醒めたる如く、暫くは呆然として、ひたすら感激の声を漏らすのみ」と伝えている。


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